日常のエッセイストのブログ

日常の些細な出来事や思考を綴るエッセイ

怖いけど知りたい…!日本のヤバイ都市伝説8選!

「きさらぎ駅」は、日本のインターネットコミュニティで都市伝説として語られている架空の鉄道駅です。この駅が初めて語られたのは2004年のことで、インターネット掲示板2ちゃんねるに投稿された実況形式の怪奇体験談の舞台として登場しました。体験談では人里離れた沿線に忽然と現れた謎の無人駅として描写されており、空想的に静岡県浜松市遠州鉄道沿線、またはそこから繋がった異界にあるものと考察されています。

この都市伝説は、2ちゃんねるに投稿された「はすみ(葉純)」と名乗る女性による書き込みから始まりました。彼女は、普段使っている遠州鉄道の電車に乗っていると、5~8分間隔で停車するはずの電車が20分以上も走り続けた後、実在しない駅「きさらぎ駅」に停車したと書き込みました。

この都市伝説は、その後もネット上で広まり、多くの人々に知られるようになりました。

 

「将門塚」は、東京都千代田区大手町にある、平将門の首を祀る塚です。東京都指定の旧跡となっています。

この地は、古くから江戸の地における霊地として、尊崇と畏怖とが入り混じった崇敬を受け続けてきました。この地に対して不敬な行為に及べば祟りがあるという伝承が出来た。

例えば、1923年(大正12年)の関東大震災後に都市再開発(復興計画)として大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、工事関係者や省職員、さらには時の大蔵大臣(第1次若槻内閣)・早速整爾の相次ぐ不審死が起こったことで、将門の祟りが省内で噂されることとなり、省内の動揺を抑えるため仮庁舎を取り壊して鎮魂碑を立てた。

また、第二次世界大戦後に戦災復興都市計画として、GHQが丸の内・大手町周辺の区画整理にとって障害となるこの地を撤去・造成しようとした時、不審な事故が相次いだため、計画を取り止めた。

このように、「将門塚」は、平将門の祟りにまつわる都市伝説が多く語られています。

 

日本には、立ち入りが禁止されている場所がいくつかあります。例えば、福岡県宗像市にある「沖ノ島」は、島全体が禁足地となっています。沖ノ島の中腹には宗像大社沖津宮があり、宗像三女神の一人である「田心姫神」が祀られています。沖ノ島に立ち入ることができるのは、本土の宗像大社から派遣された神職たった一人のみです。福岡県宗像市にある「沖ノ島」は、島全体が宗像大社神領御神体島)で、沖津宮(おきつぐう)が鎮座しています。この島は、一般人が立ち入り禁止とされており、女性の立ち入りも禁止されています。

また、長崎県対馬市にも禁足地が存在します。対馬市にある「八丁郭」と「裏八丁郭」と呼ばれる場所は、天童法師とその母のお墓になります。八丁郭に至っては地元民から「オソロシドコロ」と呼ばれ、近寄ると祟りがあるなどと言われています。

「八丁郭」と「裏八丁郭」は、長崎県対馬市厳原町南部の浅藻地区の山中にあり、古くは卒土(境外)と称したもので、天道信仰の聖地でした。この浅藻の八丁郭を表八丁郭と言い、天童(天童法師)の墓と伝えられ、地方天道山の北側の中腹の聖所を裏八丁郭と言い、天童の母の祠と伝承されています。

昔は「恐ろしい所」とされた不入の聖地でしたが、最近では周辺に桜やツツジ等を植え、花の咲く頃は憩の場として住民に利用されています。

対馬南部の豆酘(つつ)集落の人々に特に重視され、南側が八丁角(はっちょうかく)、北側が裏八丁角で、多久頭魂神社(たくずだまじんじゃ)境内にある不入坪(イラヌツボ)を含め、オソロシドコロと総称されています。

言葉のインパクトが強すぎて「恐ろしどころ」と解釈され、メディアでは、ホラー・オカルト的に取り上げられることが多いのですが、神山の結界なので、敬意をこめた畏怖の気持ち、「畏ろしどころ」が実態に近いと思います。

このように、日本にはいくつかの忌み地が存在します。

 

他にも、日本にはいくつかの忌み地があります。例えば、和歌山県高野山奥の院にある「御廟」、三重県伊勢神宮の「ご正殿」、山梨県甲府市の「花魁淵」などがあります。「御廟」は、和歌山県高野山奥の院にあり、弘法大師が入定(にゅうじょう)されている聖地です。一の橋から御廟まで約2キロメートルの参道には、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が、樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。「花魁淵」は、山梨県甲州市塩山一之瀬高橋にある滝・史跡です1。おいらん淵・オイラン淵とも書かれ、淵を渕と書くこともあります。花魁淵と漢字で表記されていることはあまりなく、地元では銚子滝と呼ばれています。

また、千葉県市川市にある通称「八幡の藪知らず」は、古くから禁足地として有名な所です。呼び名は他にも「不知森」や「不知藪」などと称される場合があります。この森は少なくとも江戸時代頃から、入ってはならない場所とされ、「この藪に足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」といった伝承が昔から存在していました。